「ど、どうしよう……」 内裏の東に構えられた女御殿。その広々とした御簾の奥、錦の褥にくるまりながら、皇女は転がるように寝そべっていた。 ……いや、違う。正しくは、悶えていた。 薄桃色の長髪が絹の敷物にゆるりと広がり、白くしなやかな腕が袖口から覗く。 仰向けのまま、皇女は長く息を吐く。几帳の隙間から差し込む陽に、透かし彫りの欄間が淡い影を落とす。その向こうには、揺れる松の枝と、どこまでも青い空。 頬はほんのりと朱に染まり、伏せられた瞳の奥には、たった今、脳裏に蘇ったある人物の姿が揺れている。 皇女は両手で顔を覆った。まぶたの裏に浮かぶのは、白銀の髪をなびかせた青年。 静謐な空気を纏いながらも、その眼差しは深く、……あまりに魅惑的で、思わず息を呑むほどだった。 ごろりと寝返りを打ち、褥に頬を押しつける。けれど、胸の高鳴りは収まる気配を見せない。 彼女の心の中に芽生えたのは、ただの憧れではなく、運命の出会いに対する確信だった。 身じろぎするたびに、自分の髪が頬に触れ、淡くたゆたう香のかおりが室内に広がった。 「皇女様」 呆れたような声が響く。 「先ほども同じことをおっしゃって、同じように寝転がっておられましたが」 端で皇女を見下ろしているのは、一人の侍女だった。彼女の姿は、まるで風にたゆたう柳の枝のようだった。身のこなしは優雅で、長身ながらも柔らかな気配を纏っている。 絹のように滑らかな緑髪は背中まで流れ、頭の両側、こめかみのあたりから、すらりと伸びた二本の角が生えていた。鹿の角によく似たそれは、滑らかな曲線を描き、表面には木目のような繊細な紋様が浮かんでいる。そこに結ばれた髪飾りが、動くたびに微かに揺れる。 長身のその侍女は、呆れ果てたような目を皇女に向けている。 その目には、駄々をこねる子どもを見守るような、もしくは長年付き合わされてきた諦めの色が滲んでいる。 「そう?」 皇女は、けろりとしている。 「ええ。それから、ちょうど一刻前も、二刻前も」 忍びきれぬため息を滲ませながら、侍女は静かに問いかける。 侍女は一歩近づくと、そっと皇女の衣の裾を整える。だが、その指先には、どこか諦めの気配が漂っていた。 「そろそろ、ご政務に戻られてはいかがでしょう」 侍女が穏やかながらも、わずかに呆れたような口調で進言した。しかし、皇女はうっとりとした表情のまま、聞く耳を持とうとはしない。 「今は到底、政務になど集中できません」 その瞳には熱っぽい光が宿り、頬は薄紅色に染まっている。 普段は落ち着いて理性的な皇女が、これほどまでに異性の存在に動揺し、心を乱されるなど侍女としても初めて目にする光景であった。 「はあ……」 侍女はこっそりと、けれどもあえて皇女に聞こえるような深いため息をついた。 宮中ではここ最近、あの男の話題で持ちきりだった。 皇女がこれほど夢中になるのも無理はないのかもしれない。 神祇伯が新たに連れてきた男――その素性は謎に包まれていた。流れる銀髪に、陶磁器を思わせる肌。憂いを帯びた眼差しは、どこか人ならざる静けさを宿していた。 (しかし、それにしても……) 侍女は小さく眉根を寄せ、ほとんど聞こえないほどの声音で呟いた。 「……どうにも胡散臭い」 彼の完璧な容姿、振る舞いには、むしろある種の不気味さすら覚えるほどであった。どこか人工的な、作り込まれたような美しさ――その向こう側に潜む正体不明の何かに、警戒心を抱いてしまう。 けれど侍女のそんな複雑な胸中をよそに、皇女は陶酔したまま言葉を続ける。 「あの白銀の髪……透き通るような肌……この世のものとは思えぬほどの美貌でした……」 かつて恋物語を冷ややかに読み流していた皇女が、今やその中の登場人物になりきっていた。 侍女はまたも疲れたように嘆息した。 「……お気持ちは重々承知いたしました。ですが、どうかもう少しだけお静かにお願い申し上げます」 なだめるように諌めるが、皇女はすでに制御不能だった。 恋というものは、これほどまでに理性を奪うものなのか。 侍女はこの主人に仕えてきて初めて、仕えることの難しさを改めて思い知らされていた。