「聞こえなかったか? どこで知ったのかと聞いている」 男は繰り返す。 血の匂いが立ちこめ、民の叫びが響き渡る。 理解の及ばぬまま、衛士たちは再び鴉へと矢を放つ。だが、鴉が空から堕ちるとき、彼らもまた命を落とした。 鴉は彼らを嘲笑うように、空からこちらを見下ろす。 「お前の望みはこれか? ずいぶんと悪趣味なことだ」 男の声は低く、ひどく乾いていた。 使節はゆっくりと微笑む。血の匂いに酔った獣のような、狂気を孕んだ笑みだった。 「あなたさまは、よく理解していらっしゃるようで」 使節は穏やかに、だが確信を持ってそう告げる。 男は奥歯を噛みしめた。 この場にこの使節が現れた時点で、すべては決まっていたのだ。 盤上の対局が――否、対局と呼ぶにはあまりにも一方的な虐殺が繰り広げられることは、最初から決まっていた。 だからこそ、男は問う。 「……何が目的だ?」 だが、返答はなかった。使節は微動だにせず、ただ静かに男を見つめている。 その櫨染色の双眸は底知れぬ闇を宿し、感情の一片すら浮かべていなかった。まるで人形のように、ただそこに立ち尽くしている。 沈黙が、じわじわとその場を侵食していく。焦燥が男の胸を締めつける。 背後では今なお、悲鳴が続いていた。 男は深く息を吐いた。 すべてを諦めたかのような、あるいは最初からこうなることを知っていたかのような、重いため息だった。 「致し方ないか」 低く零された言葉が、明確な命令となって響いた。 ――何かが弧を描く。鋭い閃光が空を裂き、次の瞬間、鈍い音とともに使節の首が地に転がった。 柊の頬に、生温かい飛沫がかかる。鮮やかな赤が、彼の白い肌を汚した。 彼はそれを拭おうともしない。彼は手に持っていた刀を無造作に捨てた。赤黒く濡れた刃が、泥と血が混じる地に音を立てて落ちる。しかし、彼の視線はそこにはない。 ただ静かに、足元に転がる肉塊を見下ろしていた。 絶命したはずの使節の口から、最後の言葉ともつかぬ声が漏れる。 だが、柊の表情は微動だにしなかった。 「……道具としては、上出来だな」 男は口元に微笑を浮かべながらも、どこか寂しげだった。 それまでの喧騒が嘘のように消えた。 誰もが息を潜め、凍りついたようにその場に立ち尽くしている。 静寂の中、遠くで羽ばたく音がした。 無数の烏が空を旋回している。漆黒の羽が陽光を受けてきらめき、まるで天を覆う闇の渦のようだった。 「残りも全て駆除できるか?」 男が問う。 柊はちらりと男を見やると、小さく息を吐いた。 「……善処はする」 そう言い捨てると、柊は裾にこびりついた血泥をものともせず、ゆっくりと歩き出した。赤黒い水たまりを踏みしめながら庭へ出る。 放心していた衛士のひとりが、弓を握りしめたまま立ち尽くしていた。 柊は迷いなくその弓を奪い取り、素早く矢をつがえる。 そして、何の躊躇もなく、一羽の烏を射抜いた。 誰かの口から小さく悲鳴が漏れた。 黒い影が空から落ち、周囲が息を呑む。 地を打ったのは、やけに重たい音だった。 また、人の死体だった。 しかし柊は意にも介さない。淡々と、ただ次の矢をつがえる。 弦がしなり、鋭い風切り音とともに矢が放たれる。迷いなく標的を貫き、そのたびに赤い血の雨が降り、地には死体が積み上がっていく。 湿った肉が地面に落ちる鈍い音だけが、静寂の中でやけに鮮明に響いた。 柊は表情ひとつ変えぬまま、新たな矢をつがえた。 南庭の砂はもう白くなかった。 薄く、静かに、血を吸い上げた砂が、死者たちの指の隙間から零れ落ちる。 血の臭いが風に乗って辺りを満たした。 一人の若い官人が嘔吐しそうな顔で膝をつき、目を逸らした。もう一人は祈るように口を動かしている。 放心していた左大将が、ようやく口を開く。 「……その者、どうして死なない?」 低く震えた声。だがそれを聞いた男は、舌打ちして肩をすくめる。 「殺生を行った者は、例外なく死んでいるのだぞ……!」 その視線の先で、血に塗れた柊は静かに弓を構え、また鴉を射抜いていた。 「どうしてその者だけが、平気で立っているんだ!?」 左大将の声が苛立ちと恐怖に揺れる。 柊は、相変わらず静かだった。 そこに立っているのが人ではなく、ただの虚ろな偶像であるかのように。 「……我が国の左大将殿は、無駄な頭だけはよく回るらしい」 男の皮肉が響く。